何を学ぶか?どう学ぶか?
先週参加したリーディングDXスクールの授業と講演の内容について、考えたことのまとめです。
授業後の講演、正直なところその時にはどういう話なのか消化しきれなかったんですが、「何を学ぶか」と「どう学ぶか」の2つの話があって、それを整理して受け取ればいいんだということに後から整理できました。
「何を学ぶか」と「どう学ぶか」の2つ、まぁ当たり前といえば当たり前ではあると思うのですが、これらがごっちゃに語られていることはあり、それが話をややこしくしているんだろうなというのは、他でもよくある話。
そこに「デジタル」というキーワードを重ねた時「デジタルの何を学ぶか」「デジタルを使ってどう学ぶか」となる。
学校ではどちらかというと「デジタルを使ってどう学ぶか」の方が主な論点であって、「デジタルの何を学ぶか」については情報の授業などで取り扱われるものなのかもしれない。
とはいえ、デジタルが日常生活の中にある現在、「デジタルの何を学ぶか」は授業の中だけの話ではなく日常生活にもあるのでデジタルに対する姿勢というのは日常にも求められる。
それはたとえば、デジタルシティズンシップとか、情報モラル的な話につながるのかもしれないけれど、自分としてはそういう大きな話以前のもっと小さな話が気になっています。
ここから先は私個人の感覚的な話なので、それを承知で読んでいただきたいのですが、先週の授業で気になったことが2つありました。
ひとつは先生が前に立って話している時に「コピペ」という言葉を使ったこと。もちろん正しくは「コピー&ペースト」。すべてのシーンで「コピー&ペースト」と言えとは言いません、個別の子どもに対応する時のスピード感が求められるようなシーンでは「コピペ」もありだと思います。
ただ、前に立って全員に話す時は「コピー&ペースト」と言った方がいいんじゃないかとは思うので。「そんなこまけーことはどうでもいいんだよ」と言われるかもしれないし、言葉なんて変化するものだからそんなものなのかもしれないけれど、自分としては気になったポイントでした。
もうひとつは別の先生で「AIは嘘をつくことがある」という話をされていたこと。先生の言いたいことはわかるのですが、ただAIは間違うことはあっても嘘はつかない。嘘をつくというのはどういうことか?を考えてみていただければわかります。 以前、子どもたち相手に「みんなはどんな時に嘘をつくか?」という問いを投げかけた時、子どもたちは嘘をつく理由を(そこは正直に)答えてくれました。そういった行動をAIがやるかというとやらないのです。
自分はAIを擬人化して語ることにも反対なので(それはAIへの理解をミスリードすると思っている)自分としてはなんとかしたいところではあります。
もちろん、これらの先生方を批判する意図はありません。
ここに書いているような話って、何かの講習を受けて学ぶとかそういうものでもないんだろうなとは思います。なのである程度は我流にならざるを得ないのかな、私が言ってることも我流の話なわけですし。
ただ、学ぶってそういうことなんじゃないか、これまで教科として学んできたことの方がある意味特殊なんじゃないかととも思ったり、いやいやこれまで教科として学んできたことだってある程度は個々の先生の解釈や関心の深さに影響されているはずなので、何も変わらないじゃんと思ったり、頭の中がぐるぐる回っています。