新・コンピュータと教育

1年以上前に手に入れたのにやっと読みました。

新・コンピュータと教育 (岩波新書 新赤版 508) / カーリル

28年前の本ですが、今にも当てはまる内容です。子どもに関わるすべての人に読んでいただきたい。 今は新品では手に入らず、図書館で借りるかブックオフなどで手にいれるしかありません、私はブックオフで手に入れました。

最後の一節が自分の心掛けていることと全く同じだったので、ちょっと長いですが引用します。教師の役割、とありますが保護者を含め、子どもたちと関わるすべての人と読み替えた方が良いと思います。

新・コンピュータと教育
佐伯 胖 著

教師の役割 ― 知の媒介者として
インターネット時代では、教師もはや知識を伝達する伝達者ではない。

むしろ学習者自らの主体的な問題意識に寄り添って彼らの知の営みの媒介者となる。

インターネット時代において教師に要求されることは、コンピュータやインターネットに関する技術的な知識や技能ではない(それらはむしろ、子どもの学びに委ねた方がよい)。

それでは、新しいネットワーク時代における教師というのは、どういう存在になるのだろうか。

まず考えられることは、子どもたちにとって、「学びにつき合ってくれる人」となることである。

それはコミュニケーションが空虚な情報パッケージの交換にならないように、ことばにならないその子どもなりの「こだわり」を認め、その子ども
が他人に見えないしアクセスもできない独自の、尊重されるべき世界をもっていることを容認する他者になることである。

その子どもが見ようとしている世界を、いわば「斜め後ろから」ともに見る。その子どもが不思議に思うこと、楽しいと思うこと、つらいと思うことを、ともに感じる。そういう存在になることである。

今日、そういう意味での「ともにつき合ってくれる人」を子どもたちは切に必要としているのである。
しかし、教師の役割はこれだけではない。

子どもの学びを適切な文化領域に橋渡しをする媒介者とならねばならない。

学習者をつねに見守り、「学習者の要求に即した学習(Learning-On-Demand )で援助することと同時に、現代のさまざまな文化領域での生き生きした文化の創造的実践に通じ、それらを子どもとともに味わうこと(appreciation)ができなければならない。

そのためには、教師自身が、つねに生き生きとした文化の創造的活動に関心をもち、それらに触れていなければならないだろう。

このことは、教師自身がつねに「学び」を積み重ね、なんらかの意味で文化的実践への参加者でなければならいことを意味している。