子どもたちには公園が必要だ

こないだ、Dojoの子らとマインクラフトと遊んでたんですが、彼らが自分たちでルールを決めて遊んでいるのをみて、ふと今の子らが今の遊びの中でどれぐらい「自分たちでルールを決める、ルールを作る」という経験をしているのだろうか?ということが気になりました。そういう意味ではマインクラフトは自分たちでルールを決める、作ることができる場だなと。


デジタルゲームをまったく否定しないのだけれど、デジタルゲームと昔ながらのアナログな遊び(カードゲーム、ボードゲームを含む)の決定的な違いは、自分たちでルールを決める余地がどれぐらいあるか?というところだと思う。アナログな遊びの方がルールを決める余地が大きい。

僕らが子どもの頃はほとんどがアナログな遊びだったから、いろんな独自ルールが作られた。同じ名前の遊びでも地域によってルールが違う「ローカルルール」があるのもそのせい。

小さな子が一緒に遊ぶ時、たとえば鬼ごっこだったら小さな子は鬼にタッチされてもセーフみたいなルールもあって、そういう小さな子のことを僕らは「ごまめ」と呼んでたけど、この呼び方も地域で違う。

こういう遊びを通して僕らは「自分たちでルールを決める、ルールを作る」ということを経験してきた。市販のボードゲームやカードゲームでさえ独自解釈のルールを作り、史実に則って設計されているはずのシミュレーションゲームですらオレオレルールを持ち込んでシミュレーションゲームの意味をぶち壊してた笑。

僕らの子どもの頃と比べて今は公園の自由度も大きく減ってしまいましたよね。僕らが小学生ぐらいの頃は学校が終わったら公園へ行って野球をやったりしてたけど、今はどこの公園もキャッチボールすら禁止。

公園で遊べるどころか、僕らはいくつかの公園を使い分けてきた。野球やるなら学校の裏の大きめの公園、遊具で遊ぶなら国道沿いのあそこで、ちょっと遊ぶぐらいなら家から一番近い公園。ビー玉ぐらいなら家の前の路地でやってた。それぐらい僕らには選択肢があった。

今の子らはその選択肢が少ない、限りなく無いと言ってもいい。なのに大人は「ゲームばかりしている」という、どないせえっちゅーねん(怒)。


冒頭の話に戻りますが、そう言う意味ではマインクラフトは今の子らの公園だなと。マインクラフトの中ならどんだけ走り回って、飛んでも、TNT爆発させても怒られない(他人の作ったものを吹き飛ばしたら怒られるけど)。その中で「自分たちでルールを決める、ルールを作る」を実践していけば良いわけで。

デジタルにはデジタルの良さがあり、アナログにはアナログの良さがある。マインクラフトみたいなデジタルの公園を単なるゲームと切り捨てず活用しながら、アナログの公園も取り戻したいもんです。

公園の民主化とかいう謎なワードが浮かんできたよ笑。