〇〇生なのにすごいね、と言わない理由

自分ぐらいの年齢(50代後半)になると、誰かがやったことを「すごいね〜」とかいうと上から目線と感じられないかというのが気になってきます。

もちろん、それが若い人であったとしてもそんな意図はなく、純粋に「すごいな」と思ったことの表れです。

そもそも自分は「小学生なのに、すごいね」とか「中学生なのに、えらいね」とは言わないし、考えてもいないです。

なぜかというと、根本的には誰がそれをやったか?よりもどんなことをやったか?に関心があり、それが若い人なのかどうかというのはそれほど関係がないからなんですが、もうひとつ「〇〇生なのにすごいね」を言ってしまうと、自分をその場から除外してしまうからです。自分がそのことについて彼・彼女らと話すことができなくなる。

多くの場合、そこで「すごい」と感じるようなことって自分はできていないわけです。なのに「〇〇生なのにすごいね」って言ってしまうのは超上から目線です。仮に、そこに自分なりの意見があり「もっとこうした方がいいんじゃないか?」と思ったとしても、そもそも「「〇〇生なのに」で入っているから「〇〇生なんだからいいじゃん」と返されてしまっても文句は言えません。

自分はそこで行われたこと、その人がやったことに関心があり、それについて一緒に意見を出し合ったり議論に参加したりしたいわけです。「〇〇生なのにすごいね」というのは自分を締め出してしまう結果しか、産まない。

自分は、それを誰が(どんな年齢の人が)やったかに関心はなく、どんなことが行われたのかどんなアイデアかにしか関心がないのです、だから「〇〇生なのにすごいね」とは言いません。