なぜを共有しよう

Why(なぜ?)を問うことが大切だという話。


あるひとつのできごとや考え方に対する反応は、つぎの4つのいずれかに分けられます。

(英語にしたらちょっとカッコよくなるかなと思って英語にしてみました)

賛成・反対

「賛成」と言ってもらうことに、誰も不満はないと思います。 「反対」と言われると、いい気分になる人もいないと思います。

どちらも大切なのは「なぜ賛成なのか」「なぜ反対なのか」ということ。賛成だったとしてももしかすると観点が違うかもしれません、反対という声に対しても「なぜ」がわかれば納得できるかもしれないし、もしかするとそこは合意できるかもしれない。

わからない

「わからない」と言われた時も「反対」と言われたように、自分の意見や考え方が反対されたと受け取ってしまうケースがありますね。「わからない」というと「なんでわからないんだ!」と怒り出す人もたまにいます。

でも、わからないものはわからない。そこを抗ってもしょうがない、ここでも大切なのは「なぜ」です。なぜわからないのか。

わからないのに「賛成」とか「反対」というのは知ったかぶりか場合によっては誹謗になりかねない。だからこそ「わからない」を「わからない」として受け止めることは大切。

もしかすると「反対」だ思っているけれど、遠慮して「わからない」と言ってるケースもあるでしょうし、本当にわからないのかもしれない。

いずれにせよ、どこがわからないのかを問えば話は前に進むかもしれない。たとえ、その先が「反対」であったとしても、反対の「なぜ」を問えば良い。

どうでもいい

相手にとって、それがどうでもいいことだということもあります。もしかすると、正しく伝わっていない可能性もあるけれど、相手によっては深追いは問題を複雑にするだけ。

どうしてもわかってもらいたい相手でもなければ、さっさと撤退するのが得策。

まとめ

なんでもかんでもとにかく賛成でなければならない世界は息苦しいので、反対だと思うことには反対だと言えることが健全だと思っています。ただ、賛成・反対の応酬だと衝突か摩擦にしかならないので「なぜ」を共有することが重要。なぜ反対なのか、賛成の場合でもなぜ(どこに)賛成なのか、そういうコミュニケーションが次につながる。

「なぜ」を共有することで、心理的安全性の高い関係性を作れるはず。ちょっと面倒かもしれない、ちょっと心配かもしれないけれど、一歩踏み込んでなぜを共有していきましょう。

私は「なぜ」を共有するコミュニケーションが好きです、「なぜ」が共有できていたらたとえあなたが私の意見に反対の立場であったとしても。