いろんなところで「老害」という言葉が使われますが、自分も52歳にもなるとこの言葉にとても敏感になります。

これぐらいの年になると、見聞きしたこと経験したことも色々あるし、それらひとつひとつについて自分の考えること、思うこともあります。批判する意図はなくても、自分の考えが周りで起こっていることと違うこともある。

そんな時に「老害」という言葉が頭をよぎります。もしかして、今自分は「老害」になっているのではないだろうか?

私は自分の考えを述べること発信することを促進することが重要だと思っています。それらは他の人の考え方と異なる場合もあるでしょうけれど、それでも発すべきです、みんながみんな同じ考え方を持つということはあり得ませんから。もし52歳の私が発することが「老害」だとしたら、私は何も言えなくなるのではないでしょうか。そんなはずはないですよね、52歳にも人権はあるべきです。

では、何が老害で何が老害でないのか?と考えひとつの結論に至りました。一般的に言われる「老害」とは従来のやり方に固執したり、自分の考え方を一方的かつ強制的に押し付ける時に使われるのではないかと。

つまり「今までがこうだったから」という思考に陥ったり、「自分はこう思うからお前もこうしろ」みたいな行動、言動をするような場合を「老害」と呼ぶのではないかと。

確かに同じことを繰り返ししてきた年数の長い年配の方が「今までがこうだったから」という思考になりがちなのは確かですし、年長者の方が考え方を押し付けることが多いのも事実。だから「老害」と言われるのか。

しかし、従来の考え方ややり方にとらわれたり、自分の考え方を押し付けようとする行動、言動が若い人にないわけではありません。そう思うと「老害」という言葉は適切ではないかもしれませんね。

これからは「老害」という言葉の字面に惑わされず、「従来の考え方やり方にとらわれすぎていないか?」「自分の考え方を押し付けていないか?」に気をつけて「いわゆる老害」にならないようにしたいと思います。