自分が実現していきたいこと

自分は「若い人が成長できる環境づくりと、若い人が出ていける社会の環境づくり」ということをやっていきたいと考えています。「それって具体的にいうとどういうことなんだろ」と自問自答し続けているので、壁打ちのつもりでアウトプットしてみます。

小中学生に向けて(保護者のアップデート)

CoderDojoをやってることもあって、僕の一番のターゲットはここだと思われてるかもしれません。しかし、どちらかというと私がこの年代に向けてやっていきたいのは「保護者のアップデート」です。保護者の理解や認識に一石を投じていきたいのです。

学校に行って、ちゃんと勉強して、成績をあげて、いい大学に行って、いい企業に就職する、それが普通の生き方。

そんな考え方を変えて行きたい。「多様性」とみんなが言うけれど、実際のところ多様性を受け入れらる大人はまだまだ少ない。

子どもたちの個性の違い、大人が気づいていない子どもたちの能力にひとりでも多くの保護者に気づいてもらって、真の意味での「多様性」を受け入れられる社会にしたい。

たとえば、「発達障害」と言う名前で呼ばれる子どもたちの個性についてはその子の保護者だけではなく、周囲の大人の理解も必要。

たとえば、経済的な壁で色々な機会に恵まれていない子たちもいる。そういう子たちへの支援をされる方はたくさんあるけれど、保護者の理解、認識が変わらなければそこから先、社会に出ていくのは難しい。

たとえば、保護者が自分の子どもたちの「うちの子にはプログラミングはまだ難しい」「ちゃんと教えて貰わないとできない」そんな風に思い込んでる大人たちに子どもたちの実力を知ってもらいたい。「プログラミングができる」ということの意味も理解してもらいたい。

子どもたちひとりひとりに一番近い存在は保護者。保護者の理解や認識が子どもたちの将来の道に与える影響はとても大きいのです。ここをアップデートすることが、子どもたちの能力を最大化するために重要だと考えていて、おごった言い方かもしれないけれど、保護者のみなさんの子どもたちに対する理解や認識をアップデートしていきたいのです。

高校・大学生に向けて(より実践的な経験をする機会の提供)

高校生ぐらいになってくると、できることも増え自分で考えて行動できるようになるでしょう。将来の進路をはっきり持っている子もいますし、おぼろげながらも自分の将来の姿が見えてくるでしょう。

この年代の子どもたちに向けては、学校で学ばないこと、生きていく上で必要な経験、能力が得られることを提供していきたい。技術的なスキルもそうですが、主には何かを実行する時に必要なものの考え方などを得られるようにしたいと考えています。

などなど。

まだまだ他にもたくさんあるけれど、ひとりの人間として生きていくには多くのことを知る必要がある。今は、多くの子どもたちが働き始めてからこれらのことを「じぶんごと」として経験し身につけていきますが、もっと早い段階で身につけていくことができる機会を作りたい。

自分で課題を設定して、その課題を解決する。自分の作りたいものを企画して、作るまでを通してやる。ひとつのプロジェクトを通してやりきれば、必要なことをすべて「じぶんごと」として経験できるはずです。

社会人に向けて

そうやって育ってきた子どもたちがでていく社会が今まで通りでは意味が無い。社会ももっと変わらないといけない。

どんなところで働いたらいいのかわからない若い人たち、ネットの就活サイトで大量応募、大量選考に疲弊する応募者と採用担当者。それだけ苦労しても、働いてみないとわからない労働環境、若い人が定着しないと悩む企業。

働き方改革の業績向上の両方に追われて余裕のない会社、自分たちも育てられた経験が少ないから、若い人を育てられない先輩や上司。若い人には「ほう・れん・そう」しろと言いながらそれに答えられない先輩や上司。

大人も若い人も疲弊している社会、せっかく若い人たちがいい環境でいい経験を得られたとしても、人生で一番長い時間をすごす世界がそんなことではダメだよね。ここも合わせて変えていきたい。

ただ、ここを変えるためにどんなことができるのか?ができることは、まだイメージができてません。ここをどうしていくのかを考えるために、多くの人とディスカッションしたり採用担当者の方と対話したりしたいと思います。

学校と社会のボーダー(境界線)をなくす

ここまで「学校(学生時代)」と「社会」を別ものとして書いてきました。一般的には「学校を出て働き始める」ことを「社会にでる」というのでそれにならっていますが、この考え方すら変えたい。学校だって社会の一部だし、学校の先生だって社会人のひとり。でも、なぜかそこにあるボーダー。これを無くさないことには、大人にとっても若い人にとってもいいことは何もないんじゃないかな。

ラベルをはがす

たとえば「不登校」。学校に行かない子のことを「不登校」と呼ぶ。確かに登校してないので「不登校」には違いないけど、それがその子を表す唯一の言葉になるべきではない。学校に行くことが子どもたちの唯一の選択肢ではなく、学校に行かないことが「悪」みたいな言い方はすべきではない。

「発達障害」というのも同じ。世間では「普通」の発達基準に達しない子のことを「発達障害」と呼ぶみたいだが、そもそも「普通」ってなんだろう?

「発達障害」と呼ばれる子の中には、学校生活に馴染めなかったり、学校の成績がよくない子もいるけれど、それ以外の部分で圧倒的な才能、能力を見せる子もいる。だけど、その子たちは「発達障害」と呼ばれる。

学校に行くこと、みんなと一緒に学校生活を送れることが「普通」と考えられているからでしかない。「みんなが学校に行く」なんてたかだか100年ぐらいのことでしかないのに、人間としての基準をそこに決めてしまわなくてもいいんじゃないかな、まだまだ色々考えて変えていってもいいと思う。

今までの普通を変えて行く

今までのやり方を継続すること維持していくことが大切なんじゃない、みんなと同じことをやってればいいわけじゃない。今までのやり方でできないことがわかったら、今までのやり方ではダメなことがわかったら、どんどんやり方を変えていい。大抵のことは、みんな同じように思ってる。話してみるとみんな同じことを考え、心配し、変えていかないといけないと思ってる。

ただ、それを自分でいうのが怖いだけ「今までと違う」「みんなと違う」ことをいうと、みんなから仲間外れにされてしまうんじゃないか、おかしなやつだと思われるんじゃないか、そう思い込んでしまっているだけ。

実際は、色々話してみるとみんな同じことを考えていることがわかる。

なんだか、まとまりの無い話で恐縮ですが、私はこれら全部を実現していきたい。どれかひとつではダメで、全部をやっていく必要がある。そのためにどんなことをやるべきかを模索しているところです。

大人をアップデートしたい

おそらく時間が経てば世の中はどんどん変わっていくと思います、ここい書いたこともいつかは実現されるかもしれない。

ただ、人の考え方は親の影響を受けやすいもの。今の若いお父さんやお母さん考え方は僕らとも違うだろうと思いますが、それでもまだまだ彼・彼女らのお父さんやお母さんだった僕らより上の世代の考え方の影響が残っているでしょう。

そのお父さんやお母さんの子どもたち、その子たちの子どもたちと代を重ねていくうちに考え方は新しくなっていくでしょうけれど、この時代の流れの速さにおいてそれでは遅すぎるのです。 子どもたちが学ばなければならないように、大人も日々学びアップデートしていく必要があります。

なぜ私がやりたいのか?

私がこれらのことをやっていきたい理由は、きっと私の経験が生きるだろうと思っているからです。

自分は決して経済的に恵まれた環境で生まれ育ったとは言えません。大学にも行かずに就職しましたが、就職先で出会った先輩方に恵まれて多くの経験を積み今の自分があると思っています。また、ちょうどバブルの時代だったことも幸いしました。私が就職したころは日本がまだイケイケの時代で、社会にも職場にも余裕がありました。だからこそ、私みたいな人間にも色んなチャンスが与えられたのだろうと思います。

でも、今は違います。衰退した経済状況と働き方改革と呼ばれる時短政策のはざまで大人も若い人もみんな苦しんでいる。良い経験をしていない人たちに「社会をよくして行こう」といってもなかなかイメージできないこともあるんじゃないかと。ここに自分が経験したことを還元していくことが僕にできる社会への貢献なんじゃないかなと思っています。

最後に

私自身もきっと発達障害をもっている人間のひとりで、なかなか自分の考えをまとめられない、それをうまく表現できないでいます。まだまだ道のりは遠いけど、でもなんとか頑張っていきます。