社会のOS
社会のOSとはひとつひとつの人や組織が連携する概念であるという話
社会のOSという言葉を聞くことがあるけれど、それってどういうものなんだろう?というのを少し前から考えていた。
OSというからには元の意味はコンピュータのOS(iOSとかmacOSとかLinuxみたいなもの)をモチーフにしているんだろうけれど、コンピュータのOSもどこまでがOSかというのはなかなか難しい。人によってはWindowsのメモ帳もOSの一部と考えられているかもしれない。
細かい部分はさておき、OSを「アプリケーションが動作するための共通基盤」と考えた時、たとえばそれは「行政」ということになるかもしれない。そこに住む人や組織の活動(アプリケーション・サービス)に対して共通の基盤を提供する存在という意味ではわかりやすいと思う。
コンピュータの世界にたとえれば、インターネットが当たり前の今、機能を作り込んで公開されたライブラリやモジュール、Web APIなどさまざまな形で提供されいて多くの人が利用しているものがある。今やソフトウェアをひとりでゼロから作るなんてあり得ない。これら、個々のサービスやアプリが提供する機能も共通基盤と言えると思う。
そう考えれば、OSとはある決まったひとつのものではなく、コンピュータ上(社会)に存在するすべてのものがその役割を負うのではないか、むしろ個々のアプリやサービス(人々や組織)が提供するものの意味の方が大きくなる、もうすでになっているのではないかなと思う。
つまり「社会のOS」と言われる概念が成立するために重要なことは、人や組織が互いに連携しあうということかなと。とはいえ、周りを見ていてもそれはなかなか難しそうだと感じることもある。民間企業はもちろんNPOでさえも、自分の事業として成立させることが最優先となっていて積極的な連携はできていないように思える。
「自助、共助、公助」と言われますが、私がここで言いたいのは共助の話ではありません。その根幹にあるものの話で、共助というのはそこで起こる結果でしかない。話のついでにいうと、私は共助と公助の境目がわかってない、公は私の延長線上にあると考えているから。
話を戻して、私たちはコンピュータの中ほどお互いが連携できていないのではないかなぁと思うのです。それができた時「社会のOS」という概念が成立する。と考えれば「社会のOS」というのはなにか特別なひとつの存在ではなく、自分たちひとりひとりが開くインターフェースの総称ではないのかなと。
この考え方、なかなか理解されないとは思いますがITの世界のみなさんにはピンと来ていただけるのかなと思います。コミュ障的な見られ方をするITエンジニアが「自分たちひとりひとりが開くインターフェース」が必要だというのって、違和感があるかもしれないけれど、実は一番そこをわかっているのかもしれない。
自画自賛と期待を込めて。
one more thing…
ものすごい話のことのように聞こえるかもしれませんが、自分自身が社会のOSの一部となるのに難しいことをしないといけないわけではなくて、自分が知ってるちょっとしたTIPSを共有することもそのひとつだと思ってます。そういうことの積み重ねが社会のOSを形作っていくのではないかと。