母の日に思う
毎年母の日に思うことをSNSに投稿しているのだけれど、毎回同じことを書くのもどうかと思い、こちらに書いてみることにする。
私の母は、私が高校3年の時の春に家を出た。家を出た経緯は省略するが、その後私が母の姿をみたのは一回きりである。結婚してから一度電話がかかってきたことがあるが、その時の用件は「金の無心」だったので即切った。会話したのもそれが最後だった。
自分は、子どものころから進路を自分で決める生き方をしてきた。中学の時には高校を出たら働くつもりで工業高校を選んだし、高校の就職の時にも親には相談せずに応募先を決めたし、その後も親に相談することはなにひとつなかった。父親にもである。
もし、自分が親に相談できたのなら人生はどう変わっただろうか?と思うこともある。きっと今の人生は大きく変わっただろうと思う。そっちの人生に興味がなくはない。
ただ、結果的には今の人生がよかったのだろうとも思っている。ろくでもない両親だったから、きっと相談してもろくな結果はでなかっただろう。すべては自分で決めたことがよかったのだと今は思っている。
強いて言えば「相談する」とう経験を積まなかったことだけが残念だ。
自分は、誰かに相談するということがとても苦手なのである、それだけは残念に思ってる。今でも誰かに相談できるようになりたいとずっと思っている。
母は何年か前に亡くなったが、それが何年前だったか、何月何日だったかも覚えていない。世間的に言えば、ろくでもない息子である。両親を「ろくでなし」呼ばわりする点においても。
でも、世の中にはそんな親子関係もあるのだ。それを他の誰かに批判される覚えはない。むしろ、そんな世界があることを知ってもらえたらと思っている。
子どもの頃に、学校で買ったカーネーションを持って帰ったことだけは覚えてる。母の日の記憶をはそれぐらいだ。できれば、今も母に感謝を述べられる人生を生きたかったなとは思っている。