結局僕らは今を生きるしかない
結論はタイトルの通り「結局僕らは今を生きるしかない」という話です。
よく「正解がない時代」とか「将来の予測が困難な時代」と言われますが、それは今までもそうだったしこれからもそうなので、全然気にする必要がないと学生に話しています(まぁ、そういわれていることすら知らない学生もいますが)。
「正解がない」については、ちょっと言葉が足りなくて「唯一絶対的な正解がない」だけであって、「自分の中でその時その時の正解」が常にあるんです。それは変わり続けて良い。だから「唯一絶対的な正解がない」これを「正解がない時代」と表現するので話がややこしくなっているだけ。
とはいえ「自分の中でその時その時の正解を出していく」というのは言葉尻ほど簡単ではありません。「自分で決める」という経験の薄い人が多いからです。今、専門学校で多くの学生と接していますが「自分で決める」の難しい人が多いと感じてます。
でも、それで学生を責めるわけにはいきません今までに「自分で決める」という経験をあまりしていなかったので、今それをやれといっても無理。筋トレやったことがない人に「100kgのバーベル上げてみろ」というようなもんですから。
そんなこともあって、私の授業では「自分で決める」「自分の考えを発する」ことをやってて「これは筋トレである」と説明しています。学生にとってはとてもしんどいことなので、みんなひーひー言ってます、文句言ってくる学生もいます。でもやるしかない、気持ちはビリー隊長です、ワンモアセッ!!。
先日、デンマーク在住の方からデンマークの教育では「自分で決める」が基本であるという話がありましたが、こういうことを幼稚園ぐらいからやることに意味があるのですね。ある程度人格形成が出来上がってから変えるのはとても難しいです。
「将来の予測が困難な時代」も、みんな今まで将来を予測してきてなんかないと思います。むしろ、将来のことなんか考えずにのほほんと生きてきたけどなんとかなってたというのが実情ではないでしょうか。
それがいわゆる「価値の多様化」が進み、みんながみんな同じことをしなくなったので「あてがはずれる」ようになった。自分達が期待している以上に環境や経済が悪くなった。それに「将来の予測が困難な時代」と名前をつけて問題意識を煽り、セミナーで稼いでいる人が現れただけではないですか(disってません)。
今までだって将来の予測なんてしてこなかったし、予測通りになんかなってないのに。
「未来を予測する最良の方法は、それを創ることだ」や「未来を見て点をつなぐことはできない。できるのは過去を見てつなぐことだけだ」という言葉があるように、今までも「未来を予測」できたわけではないのです。
つまり、僕らは今この瞬間の正解を出し続けて生きていくしかないんですよね、きっと。