カタカナ言葉の功と罪
先日、以下の記事を目にする機会がありました。
情報発信による意図しないスティグマ強化 ―アウトカム志向のパラドックスをNPOはどう乗り越えるか―
本文の内容についてはほぼ同感なんですが、気になったのはカタカナ言葉の多さ。しかも馴染みのない言葉ばかりなのでなかなか頭に入ってこない。こう感じられた方は私以外にもいらっしゃいました。
この文章をカタカナ言葉を減らして書くとどうなるかと考えてみたんですが、単純な言葉の置き換えだけではかなりわかりにくいので構造(構成)を変えないといけない。おそらく、ですが、もっと丁寧な文章になると思います。
カタカナ言葉ってその意味を共有できている相手に対しては便利なのできっと文章が短く、書き手の負担を減らす効果があるのでしょう。逆に意味を知らない人に対しては負担を与えてしまう。
文章を書くということは書き手の方にそれを伝えたいという想いがあるはずなので、その想いをきちんと伝えるためには受け取る側に負担をかけないようにすることが大切なんじゃないかなということに気づきました。
自分も気をつけます。
実際のところ、カタカナ言葉を多用する背景として「その方が賢そうに見える、難しいことを言ってるように見える」というのもあって、その理由で多用されているケースもあるかと。その場合、カタカナ言葉を多用することそのものにマイクロアグレッション風味がするというね笑。